
3代目スカイラインとなるC10型は、「日産ブランド」として発売された最初のスカイラインだが、実は日産との合併を前に、プリンス自動車が既に設計を終えていたという話もある。中島飛行機と立川飛行機、日本を代表する2つの航空機メーカーをルーツとするプリンス自動車は、典型的な技術者集団。プリンス出身でサスペンションのスペシャリストだった開発主幹・桜井眞一郎がこだわった足回り、レーシングカーR380譲りのDOHCエンジンなど、ハコスカC10型にはプリンスのDNAが色濃く反映されている。
●文:横田 晃(月刊自家用車編集部)
スカイライン2000GT-Rセダン(1969年)とR380-Ⅲ
ミスマッチのようだが、実は設計陣の意図を汲んだ計算された広告戦略
広告は時代を映す鏡。クルマの広告で、それがもっとも顕著に表れ、多くの人の記憶に残るのは、スカイラインに違いない。初代の登場以来、今年で60年。ベストセラーに何度も輝いた人気モデルの広告は、時に時代を代表する存在ともなってきた。中でも一世を風靡したのが、1968年の「愛のスカイライン」というコピーだ。
’57年に当時の富士精密工業が発売した初代スカイラインは、先行するクラウンのライバルとなる高級セダンだった。それが一気にスポーツセダンとして認知されるきっかけとなったのは、プリンス自動車に改名後の1964年に鈴鹿で開催された第2回日本GPでのこと。1960年に小型車規格が2Lに拡大されたのを受け、スカイラインは派生モデルとして誕生したグロリアに上級セダンの地位を譲り、1963年に誕生した2代目S50系は、コンパクトなファミリーセダンへと変身していた。
前年の第1回日本GPで惨敗していたプリンスは、本来1.5Lの4気筒を積むそのスカイラインのノーズを伸ばし、グロリア用の6気筒2Lを押し込んだGTで第2回日本GPに参戦。一周とはいえ市販レーシングカーのポルシェ904を抑えて走り、大手新聞も書き立てる国民的な話題となった。そこから生まれたのが﹁羊の皮を被った狼﹂のコピー。ただし、それは大いに話題を呼んだものの、当時のベストセラーだったコロナやブルーバードの顧客を振り向かせるには至らなかった。
そこで、日産との合併後の1968年8月に登場した3代目のC10系スカイラインでは「愛のスカイライン」という全く方向の違う広告戦略に打って出た。
愛のスカイラインのキャンペーンは、GT-Rのレースデビューとほぼ同時期に始まっている。ハードなレースとソフトな宣伝キャンペーンのギャップがさらに話題となった。
3代目スカイラインは、これまでのイメージの真逆をいく「愛のスカイライン」という広告戦略で人々の心を捉えた
レースでの活躍で、スカイラインはスポーツセダンのイメージを確立したし、レーシングカー譲りの高性能エンジンを積むGT-Rも開発が進んでいた。しかし、開発者の桜井眞一郎は、レースはあくまでもクルマをよりよくするための手段と考えていた。彼は3代目スカイラインを、より多くの人に愛されるクルマにしたいと願っていたのだ。その想いを汲み取った日産の宣伝課員と、日本を代表する広告制作会社、ライトパブリシティのアイデアから生まれたのが、自動車の広告としては前代未聞の「愛の~♪」というフレーズだった。
優れたデザインや走行性能に加えて、人に優しいクルマであることも伝えたこのコピーは、過激な学生運動などで殺伐とした世相を生きる人々の心を捉えた。狙い通りスカイラインは登場の翌年、前年比2倍もの売れ行きを示す。
GC10型スカイラインセダン2000GT(1969年)
愛のスカイラインのキャッチコピーで登場した3代目、C10型には、最初から日産セドリック用のL20型6気筒エンジンを搭載するGTが設定されて、「スカG」の名を広く知らしめることになる。サーフライン(リアフェンダーから後方へ流れるプレスライン)が最も美しく見えるデザインでロングノーズに直列6気筒エンジンを詰め込んだ「スポーツセダン」の先駆けとなった。
KGC10型スカイライン2HT2000GT(1970 年)
セダンに対してホイールベースを70mm短縮。これにより運動性能(旋回性)が劇的に向上した。Bピラー(柱)のない「ハードトップ」構造を採用し、開放感と流麗なシルエットを両立。全高が低められ、ワイド&ローな力強いプロポーションに進化した。
メーターパネルは運転席側に独立したようなデザインで、視認性を重視。GT系は木目調のパネルが採用されており、スポーティさの中に当時の高級感を持たせている。
基本はブラックのビニールレザー。バケット形状は採用しなかったが、適度な硬さがあり長距離ドライブを考慮した設計となっている。
「愛の〜」のキャッチコピーとは裏腹に、よりハードな「スカG」伝説が誕生する
今の時代に100psと聞いても、驚く人はいないだろう。けれど50年前の国産車では、100psは夢の高性能だった。それを初めて実現させたのは、1963年に登場したプリンスのグロリアスーパー6。直列6気筒のG7型エンジンは2Lから105psを発揮し、フォーマルなセダンでありながら、新聞広告でも「100馬力の実力」と派手に喧伝された。第2回日本GPで人々を熱狂させたスカイラインGTは、3連キャブを装着し、125psを絞り出したこのエンジンを搭載。当初はレース専用車として企画されたが、発売を求める声に応えてカタログモデルとなった。
その好評を受けて、愛のスカイラインのキャッチコピーで登場した3代目、C10型には、最初から日産セドリック用のL20型6気筒エンジンを搭載するGTが設定されて、「スカG」の名を広く知らしめることになる。
さらにそのボディに、純レーシングカーのR380用に開発されたDOHC24 バルブを移植したのが、初代GT-Rだ。正確には移植ではなく、搭載されたS20型エンジンはレース用のGR8型をベースに市販車用に改めて開発されたものだが、そこから生み出される160PSのパワーは、当時のライバルを圧倒する実力だった。ツーリングカーレースでの初勝利は1969年5月のJAFグランプリ。以後、1971年にロータリーエンジンを積むサバンナに阻まれるまで、スカイラインGT-Rは49連勝という大記録を残すのだ。
もちろん、ワークスチームがチューニングしたエンジンは、よりハイパワーを絞り出してはいた。しかし、オリジナルの160PSでも、空前の高性能だ。働くほどに豊かになる高度経済成長の中、マイカーに手が届き始めた庶民にとって、より高性能なクルマに乗ることは大きな目標にもなった。
ライバルのトヨタも、負けじとセリカに量産型のDOHCエンジンを積み、カローラ/スプリンターのクーペにも展開して、高性能をより身近な存在にした。サーキットでGT-Rを追い回した東洋工業(現・マツダ)のロータリーエンジンも人気を呼び、高性能競争が過熱していく。スポーツカーはもちろん、実用車に至るまで、カタログに載る馬力の数値が、人気に直結する時代を迎えたのだ。
グロス表示のGT-Rの160PSは、今日のネット表示ならせいぜい140Pあまり。現代では1.6Lクラスでも、軽々と叩き出している数値だ。しかしそこには数値以上の夢と力強さが、たしかに含まれていたのである。
ハコスカGT-Rは2ドア/ 4ドア合わせ、1970 -1972年の3年間で国内レース52勝を記録。写真は1971年マスターズ250㎞を疾走する2ドアGT-R。
PGC型スカイラインセダン2000GT-R(1969年)
ハコスカの象徴であるリアフェンダーのプレスライン「サーフィンライン」が、カットされずに残されているのがセダンGT-R。太いタイヤを履かせるため、リアフェンダーのアーチがわずかに外側に叩き出されているのが特徴。
KPGC10型スカイライン2HT GT-R(1970年)
リアに装備された黒いボルト止めのオーバーフェンダーを採用することによってサーフィンラインが大胆にカットされており、セダンよりも圧倒的なワイドで攻撃的なリアビューを演出する。セダンに比べてフロントウインドウの傾斜が強く、全高も低く設定しているため、よりスポーティで流麗なシルエットとなっている。
セダンGT-Rはセンターコンソール前に電流計と燃料計が収まり、運転席前の木目に囲われたメーターは計4つ。
スライドはするがリクライニングしないフルバケットシートが市販車に採用されるのは珍しい。助手席側のヘッドレストはオプション。
純レーシングカーのR380に搭載されていたGR8型エンジンをベースに開発されたGT-RのS20型エンジン。ボア×ストロークは82.0㎜×62.8㎜のショートストローク。ウエーバー製キャブレターが3連装され、160PSの最高出力を誇った。当時最強といえる2.0L直列6気筒だ。
PGC10型スカイラインGT-R主要諸元
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
最新の関連記事(旧車FAN)
「未来の国からやって来た」挑戦的なキャッチフレーズも話題 初代の「A20/30系セリカ」は1970年に登場しました。ちょうどこの時期は、モータリゼーション先進国の欧米に追い付けという気概で貪欲に技術を[…]
三菱車としては初のスペシャルティクーペ 「ギャランGTO」が発売されたのは、“いざなぎ景気”と呼ばれる高度経済成長期のただ中だった1970年です。国民総生産が世界2位まで駆け上がり、大阪万博の活況に国[…]
「キャロル」はマツダ・イズムの塊だった 初代の「キャロル(KPDA型)」の発売は1962年です。広島の地でコルク製品の製造業から始まった「東洋工業」は、戦時中に軍の下請けで3輪オートバイの製造を始めた[…]
1ランク上を目指した610系は、影の薄いブルーバード サメという凶暴さを象徴する魚類の名前で呼ばれる車種というのは、4代目の「日産・ブルーバードU(610系)」です。4代目の610系ブルーバードは、日[…]
個人ユーザーが乗り回すアクティブな高級車へとイメージチェンジさせた「3代目クラウン」 中堅サラリーマン層がサニーやカローラで念願のマイカー族になり、若者も高性能な軽自動車で刺激的なカーライフを送り始め[…]
最新の関連記事(カー用品)
充電式における不満点を解消する「爆風を、切らさない。」AC電源タイプ エレコムから登場したAC電源タイプの電動エアダスター(AD-ALA01BKなど)は、従来の使い捨てガス缶やバッテリー駆動の充電式に[…]
純正のような仕上がりなのに、取り付けは超簡単! パワフルに使える電源ユニット カーメイトが開発した「CX505K」は、トヨタ・ハイエース(200系)の純正灰皿と交換して取り付ける専用設計の増設電源ユニ[…]
受信した電波の信号をより細かく分析する新機能を搭載。誤警報源特有の信号を検出して排除 ユピテルから、Kバンド識別性能の強化と、誤警報を低減させた、レーザー&レーダー探知機「SUPER CAT」2026[…]
余剰電力を活用し、走行中にポータブル電源を充電するポータブル電源 近年、キャンプや車中泊の人気が高まるとともに、災害時のバックアップ電源としての需要も相まって、大容量ポータブル電源の普及が急速に進んで[…]
車両盗難の手口は、デジタル技術を悪用した巧妙なものへと変貌。従来のセキリュティでは対応しきれなくなってきているのが現状 近年、自動車は単なる移動手段を超えた「個人の資産」であり、時には「家族の一員」の[…]
人気記事ランキング(全体)
「キャロル」はマツダ・イズムの塊だった 初代の「キャロル(KPDA型)」の発売は1962年です。広島の地でコルク製品の製造業から始まった「東洋工業」は、戦時中に軍の下請けで3輪オートバイの製造を始めた[…]
1ランク上を目指した610系は、影の薄いブルーバード サメという凶暴さを象徴する魚類の名前で呼ばれる車種というのは、4代目の「日産・ブルーバードU(610系)」です。4代目の610系ブルーバードは、日[…]
空気を切り裂く、芸術的シルエットを採用 シトロエン「C5 AIRCROSS」は、ブランドの核となる「Advanced Comfort」の思想を継承し、身体的および精神的なウェルビーイングを追求したCセ[…]
純正のような仕上がりなのに、取り付けは超簡単! パワフルに使える電源ユニット カーメイトが開発した「CX505K」は、トヨタ・ハイエース(200系)の純正灰皿と交換して取り付ける専用設計の増設電源ユニ[…]
ハイエースより身近なタウンエースバンがベースの「MONOBOX T-01」 そもそもタウンエースバンとはどのような車なのか疑問に思う方もいるかもしれない。1976年に販売を開始した歴史あるキャブバンで[…]
最新の投稿記事(全体)
「未来の国からやって来た」挑戦的なキャッチフレーズも話題 初代の「A20/30系セリカ」は1970年に登場しました。ちょうどこの時期は、モータリゼーション先進国の欧米に追い付けという気概で貪欲に技術を[…]
三菱車としては初のスペシャルティクーペ 「ギャランGTO」が発売されたのは、“いざなぎ景気”と呼ばれる高度経済成長期のただ中だった1970年です。国民総生産が世界2位まで駆け上がり、大阪万博の活況に国[…]
ボディカラー(ニュートラルブラック/サンド)も追加。 販売店ごとに「受注枠」は異なっている。「キャンセルを待ちたい」は必ず伝えるべし TOYOTAランドクルーザー250価格:577万9400円 202[…]
空気を切り裂く、芸術的シルエットを採用 シトロエン「C5 AIRCROSS」は、ブランドの核となる「Advanced Comfort」の思想を継承し、身体的および精神的なウェルビーイングを追求したCセ[…]
2008の流麗なシルエットを際立たせる「セレニウム・グレー」を採用 プジョー2008は、日本の都市部でも扱いやすいボディサイズとSUV特有の力強さを兼ね備えた独創的な外観デザインで人気のSUV。機能面[…]
- 1
- 2



























