「4WD乗用車のパイオニア!」 技術者集団「SUBARU 」が自動車史に刻んだ偉大な足跡。今に引き継ぐスバルAWDの源流となったクルマ‼︎│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「4WD乗用車のパイオニア!」 技術者集団「SUBARU 」が自動車史に刻んだ偉大な足跡。今に引き継ぐスバルAWDの源流となったクルマ‼︎

「4WD乗用車のパイオニア!」 技術者集団「SUBARU 」が自動車史に刻んだ偉大な足跡。今に引き継ぐスバルAWDの源流となったクルマ‼︎

FFを活かした車内の広さや雪道走破性の高さなど、理想を追求するクルマづくりで熱烈なファンが多かったスバル1000/ff-1。しかし本格マイカー時代の到来は自動車メーカーに、より多くのユーザーや海外市場にも対応する多様性を要求していく。とくに若年層へのアピールは重要。そして登場した初代レオーネは、セリカやギャランGTOなど当時人気だったクーペタイプを先行デビューさせ、順次車種を拡大していく戦略をとった。一方FF、縦置き水平対向エンジンというスバルの特徴は4WD化が容易。電力会社の要求をきっかけに世界初の乗用型4WDも誕生した。

●文:横田晃(月刊自家用車編集部)

スバル初の4WDはシンクロ付きドライブセレクターと呼ばれるパートタイム方式で、走行中に4WDへの切り替えこそできたが、ハンドルを切るとブレーキがかかるなど、4WD走行はあくまで悪路に限られた。

時代に先んじ過ぎた反省から分かりやすい魅力を表現する商品企画へ舵を切ったスバル

平和で民主的な社会には、あらゆる可能性が満ちている。戦時中は軍部の言いなりのモノ造りしか許されなかったエンジニアたちにとって、戦後の復興期はどれほど楽しかったことだろう。中島飛行機のエンジニアとして、戦闘機のエンジンの開発などに携わった百瀬晋六氏も、戦後は腕によりをかけて大衆のための乗り物の開発にいそしんだ。その代表作となったのが、初のベストセラー軽自動車となったスバル360と、海外メーカーにも影響を与えた本格的な前輪駆動乗用車「スバル1000」だった。

ただし、高度な技術を駆使して理想を追求した彼の作品は、時代の先を行き過ぎていた。おかげで1958年に発売したスバル360は古びることなく10年以上作り続ける長寿モデルとなったが、同じ百瀬氏が開発して1966年に発売されたスバル1000は、肝心のユーザーに理解されなかった。

同じ年に日産サニーとトヨタカローラが誕生し、サラリーマンにも手の届く価格やお値段以上の豪華さを競ったのに対して、クルマとしての本質を追求したスバル1000は、高価なのに色気のないクルマと人々の目には映ったのだ。独創的なスバル1000の開発を命じた当時の富士重工の社長は、銀行から送り込まれた人物だった。その不振を受けて、彼はメインバンクが同じ日産と1968年に提携、サニーやチェリーの生産を受託することで食いつなぐ。そうした苦労を経て1971年10月に誕生したスバル1000の後継車が、レオーネだった。

スタイル重視のロングノーズフォルムの採用や、操縦性の追求より整備性を優先したインボードブレーキの廃止など、スバル1000で見られた理想主義から離れたことを、悪しざまに言うファンや評論家もいる。しかし、それは愛するが故の苦言というものだろう。彼らの乗用車以前の作品である航空機やバス、鉄道車両などは、プロユースが前提。求められる機能性能を満たす、合理的で理想的な設計が第一義だ。しかし、ようやく到来したマイカーブームに沸く当時の日本人が、かっこよさや経済性などの、より分かりやすい価値を求めたのは当然だ。

そのために百瀬氏を開発の現場から外したという噂もあるが、それもうがち過ぎだろう。現在のスバルの幹部陣が入社した当時も百瀬氏は第一線で、彼らは日々の業務の中で、百瀬氏から直接指導を受けている。中島飛行機から続く技術者集団のDNAを受け継ぎながら、時代に合った商品力を目指したのがレオーネだったのだ。

スバル1000(1966年)

日本初の水冷水平対向4気筒エンジンや、スムーズな前輪駆動などの高度な技術で、ひとクラス上の広さや高速時代にふさわしい性能を実現した。

FFやフラット4というスバルらしさが生んだ新たなる商品企画

そんなスバルのカラーがいかんなく発揮されたのが、世界初の量産乗用車型4WD車となったレオーネエステートバン4WDだ。そもそもこのクルマは、今日のような商品企画というプロセスから生まれたのではない。発端は1968年ごろ、東北電力の送電線保守部門から宮城県のスバルディーラーに持ち込まれた「1年を通じて快適な4WDの現場巡回車ができないか」という相談だった。

当時、雪深い山中の送電線の保守作業にはジープタイプの4WD車を使っていたが、お世辞にも快適とは言い難く、夏場は稼働率が低くて不経済。しかしスバルのメカニズムなら、うまく4WDが作れるのではないかというのだ。

たしかに、エンジンを縦置きにして前輪を駆動するスバルのメカニズムは、トランスミッション後端からシャフトを延長できればFR車のように後輪も駆動できる。それを思いついた電力会社のエジニアは表彰ものだ。その時、たまたまそのディーラーに腕利きのメカニックがいたのも、何かの運命だったのだろう。

彼は中古のスバル1000バンをベースに、日産ブルーバードのドライブシャフトやデフを流用した改造4WD車を作りあげた。それを1971年2月の雪道でテストすると、見事な性能を発揮したのだ。その改造車はサンプルとして群馬の開発部門に送られた。そこからが技術者集団、スバルの真骨頂だ。ユニークな4WDバンを見た幹部たちは、すぐさま4WD開発チームを立ち上げると同時に、市場調査を進めた。

結果、そうしたクルマを欲する現場は多く、レジャー用途でも市場性があると判断された1971年夏には、スバル1000の最終モデルに当たる1300Gバンがベースの4WD試作車が4台完成。うち1台が、秋の東京モーターショーの商用車館に展示されたのだ。

最終的に十数台が作られた1300Gベースの試作車は、最初にオーダーした東北電力を始め、長野県の農協や町役場のほか、自衛隊にも納入されたという。新型車の開発時に作られる試作車は、一台数億円相当とも言われるが、この時の販売価格は破格の84万円。

しかし、その赤字分はのちのスバルの財産になる。この時に得られたノウハウを活かして、当時開発中だったレオーネに移植された4WDシステムは、1972年9月にはレオーネエステートバン4WDとしてカタログモデルになる。そこから、今日のスバルを決定づける個性であるシンメトリカルAWDシステムへの発展がいよいよ始まるのである。

ff-1 1300G バン4WD

宮城スバルが東北電力の要請で試作したエステートバン4WDは、中古のスバル1000バンにff-1用の1.1Lエンジンを積んだクルマがベース。当時、資本提携関係にあった日産ブルーバードのデフとドライブシャフトを流用し4WDに改造している。

一次試作車でテストが行なわれ、その後7台が増加試作される。東北電力に5台、長野県内の農協と村役場に各1台。その後さらに1台を追加製造、防衛庁(当時)に販売されている。販売価格は84万円だった。

1300GのGにはゴージャスの意味もあり、インパネはクラッシュパッドやウッドステアリングなど簡素なスバル1000とは大違い。

トランスファーレバーで4WDとFFをセレクトするパートタイム方式。

エンジンはEA62型の1.3L。最高速度はFF走行で135㎞ /h(4WD走行時は130㎞ /h)となっていた。

歴代レオーネで貫かれたスバルの独創の技術が新世代商品レガシィを生む

とはいえ世界初の4WD乗用車という価値は、最初から理解されたわけではない。エステートバンのみだった当初の販売台数は、月販目標の半分程度。しかし、地道な改良や商品企画で、その人気はじわじわと広がっていく。1975年に世界初の4WDセダンを投入。1979年に誕生した2代目レオーネでは、セダンとエステートバンに加えて、スイングバックと呼ぶハッチバック車とハードトップにも4WDを設定した。

当初はレバーで2WDと4WDを切り替えるパートタイム方式だったが、1981年秋には電磁式油圧多板クラッチを使い、オンロードもスムーズに走れる世界初の4WD-AT車を発売。同年には、バンとは異なる上質な内外装を与えた乗用車規格のツーリングワゴンが誕生したことも、スバル4WDの認知度を大きく高めた。

当時はレジャーブームと言われた時代。豊かになった日本人は休日ともなればキャンプやスキーなどのアウトドアレジャーをクルマで楽しむようになっていた。そうしたニーズに、天候や路面を問わず快適に移動できる乗用車タイプの4WDはピタリとはまったのだ。

1982年には1.8Lのターボも4WD車に設定され、いよいよ走りの4WD車としてのカラーを鮮明にしていく。初代レオーネでスバルの4WD車が誕生してから10周年となる1982年5月には、レオーネ4WDの累計生産台数が50万台を記録。同年10月にはレオーネシリーズも累計生産台数100万台の大台に乗せた。

ただし、ここに至るまで基本設計はスバル1000時代がベース。1.6Lまでのエンジンは1000のストロークはそのままに、ボアだけを拡大したもの。結果、超ショートストロークで低速トルクが細く、高回転型で燃費が悪いといった無理が生じていた。

1.8L化の際に手直しされるも、古い3ベアリングとOHVのまま。3代目レオーネの1984年に、ようやくOHC化されている。生産規模が小さいスバルには、それらの基本骨格を根本から新しくする投資が難しかったのだ。それでも、1986年のクーペに始まるセンターデフ式フルタイム4WDなど、独自技術は歴代のレガシィを通して着実に磨かれていった。

その集大成として、イチから開発されたのが初代レガシィだ。5ベアリングのDOHCエンジンや新構造のボディなど、技術者集団が蓄積した技術をフルに詰め込んだ”真打ち“は、見事に期待に応えた。3世代のレオーネは、今日のスバルの孵卵器の役割を、しっかりと果たしたのだった。

レオーネクーペ1400GSR(1971年式)

若年層を取り込む目的で2ドアクーペを先行発売したレオーネだが、実際は2/4ドアセダン、エステートバンも同時進行で開発が進められ
ていた。複数の小型車を発売できないという社内事情もあって、レオーネには派生車ブラットを含めると、最終的に6つものボディバリエーションが存在した。

主要諸元 レオーネクーペ1400GSR(1971年式)
●全長×全幅×全高:3995㎜ ×1500mm×1340㎜ ●ホイールベース:2455㎜ ●車両重量:775㎏ ●乗車定員:5名●エンジン(EA63A型):水平対向4気筒1361㏄ ●最高出力:93PS/6800rpm●最大トルク:11.0㎏ -m/4800rpm●最高速度:170㎞ /h●最小回転半径:4.8m●燃料タンク容量:50L●トランスミッション:前進4段、後進1段●サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立/セミトレーリングアーム式独立●タイヤ:145SR13 ◎新車当時価格(東京地区):71万9000円

レオーネエステートバン4WD(1972年式)

価格79万8000円、月販目標200台でスタートしたエステートバン4WDだったが、若干のレジャー用途があったとはいえ、あくまで需要は業務用が中心。しばらくは月販100台程度と苦戦が続いた。スバルは全国で4WD試乗会を開くなど、地道な活動で一般ユーザーにも、その認知度を高めていった。

主要諸元 レオーネエステートバン4WD(1972年式)
●全長×全幅×全高:4040㎜ ×1500㎜ ×1450㎜ ●ホイールベース:2455㎜ ●車両重量:905㎏●乗車定員:5名●エンジン(EA63型):水平対向4気筒OHV1361㏄ ●最高出力:77PS/6400rpm●最大トルク:10.5㎏ -m/3600rpm●最高速度:140㎞ /h●最小回転半径:5.5m ○燃料タンク容量:32L●トランスミッション:前進4段、後進1段 ●サスペンション(前/後):マクファーソンストラット式独立/セミトレーリングアーム式独立●タイヤ:155SR13(ブリヂストン全天候ラジアルRD301) ◎新車当時価格(東京地区):79万8000円

ハイバックタイプのシートは4段階のリクライニングと7ポジションのシートスライドができた。シートベルトは2点式。後席はダブルフォールディング格納(一体型)。

2眼式のメーターは左が速度計、右が燃料計/水温計と各種警告ランプ。

シフトレバーの奥にあるセレクターレバーで2WDと4WDを切り替える。

FFのエステートバンは1.1Lモデルもあったが、4WDバンは1.4Lだけを搭載。

2代目レオーネ(1979-1984年)

ホンダ・シビックなどにより人気になったハッチバックモデル、ショートホイールベースの「スイングバック」も設定されたが、初代に比べてボディは大型化され、主力エンジンも1.8Lとなる。1981年にはスバル初のステーションワゴン「ツーリングワゴン」を追加。4WDとワゴンの融合はアウトドアレジャーブームにも乗り、スバルの新たな主力車としてレガシィにも受け継がれていった。

3代目レオーネ(1984-1994年)

さらに大きくなったボディはフラッシュサーフェス化され、空力特性の良さをアピール。エンジンも大幅な改良が加えられ、遅まきながら
SOHCを採用。「オールニューレオーネ」を名乗った。GTには車高調整式のエアサスペンションを導入、ターボやフルタイム4WDも追加さ
れて、より一層スポーティ4WD路線を強めている。3代目はインプレッサとレガシィの登場で順次車種を整理、自社生産レオーネとしては最後のモデルとなった。

クーペ

セダン

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