「改めて見るとやっぱスゴい…」バブルが生んだ贅沢過ぎる軽自動車。高級スポーツカー並みの技術を多数採用。採算度外視で開発されたスズキの名車「初代 カプチーノ」│月刊自家用車WEB - 厳選クルマ情報

「改めて見るとやっぱスゴい…」バブルが生んだ贅沢過ぎる軽自動車。高級スポーツカー並みの技術を多数採用。採算度外視で開発されたスズキの名車「初代 カプチーノ」

「改めて見るとやっぱスゴい…」バブルが生んだ贅沢過ぎる軽自動車。高級スポーツカー並みの技術を多数採用。採算度外視で開発されたスズキの名車「初代 カプチーノ」

1980年代後半から訪れたバブル景気は、日本の自動車産業に未曽有の狂熱をもたらした。その熱波は実用本位だった軽自動車の領域にも波及し、従来の常識を打ち破る規格外のスポーツモデルが生み出される。本稿では、後に「ABCトリオ」として時代を象徴することとなる伝説の一角、スズキ「カプチーノ」の真価に迫る。

●文:月刊自家用車編集部

群雄割拠の時代——軽スポーツの限界に挑んだ3社の競演

スズキ・カプチーノが産声を上げた1991年は、潤沢な資金力を背景に自動車メーカー各社が世界トップレベルの車両開発へ没頭していた、まさに自動車産業にとっての黄金期であった。トヨタ・セルシオやホンダ・NSX、日産・スカイラインGT-Rといった歴史的名車が相次いで誕生したこの時代であることからも、それがわかるはずだ。そして、その開発エネルギーは軽自動車という小さな枠組みをも大きく押し広げていった。

バブル景気全盛期に誕生した、個性的な軽自動車「ABCトリオ」

その結果誕生したのが、現在も語り継がれる「ABCトリオ」——オートザム(マツダ)のAZ-1、ホンダのビート、そしてスズキのカプチーノである。ほぼ同時期に登場したこれら3モデルだが、目指したスポーツカー像は三者三様であった。

オートザム・AZ-1

骨格となるスケルトンモノコック構造にガルウイングドアとグラスキャノピーを融合させた異色の造形。ミッドシップに搭載されたスズキ製DOHCターボと極めてダイレクトな操舵特性により、さながらレーシングカートを操るかのような過激なフィーリングを実現していた。

オートザム・AZ-1(A)

ホンダ ビート

1991年に先陣を切って登場した2シーター・オープンミッドシップ。専用設計のオープン高剛性ボディに、3連スロットルを備えた自然吸気エンジンを搭載。NAながら自主規制上限の64psを発生させ、二輪車を彷彿とさせる高回転域での鋭いレスポンスを誇った。

ホンダ ビート(B)

スズキ カプチーノ

高級スポーツカー並みの技術をふんだんい取り入れた、本格的な軽スポーツカー。前後重量配分やサスペンション、ブレーキ、駆動方式、そして車両重量に至るまで、まさに採算度外視とも言える力の入れようで開発が進められた。

スズキ カプチーノ(C)

軽スポーツの覇者が選択した、もう一つの頂点へのアプローチ

1980年代半ば、スズキはアルトワークスの投入により軽パワー競争の頂点に君臨した。しかし、景気拡大の波に乗った同社は、既存のハッチバック派生型にとどまらない本格スポーツカーの創造を目指し、1987年にプロジェクト「U.L.W P-89(ウルトラ・ライト・ウェイト・スポーツ)」を発足させる。

目指したのは車重450kgという異次元の軽量化である。潤沢な予算のもと、CFRP製バスタブシャーシやアルミ製外装パネル、さらにはアルミ製のサブフレームやサスペンションアームに至るまで先進技術が惜しみなく投入され、最終的に480kgという極限のスペックを実現した。さらに、前後重量配分50:50を追求し、エンジンをフロント車軸後方に配置するフロントミッドシップFRという前代未聞のレイアウトが採用された。

フロントミッドシップFRレイアウトと4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションの組み合わせ。さらに4輪ディスクブレーキを採用するなど、軽自動車の域を超えた本格的な走行性能を追求した。

時を同じくして、複数チャネル化を進めていたマツダも「オートザム」ブランドの看板車種として軽ミッドシップの開発に着手していた。このプロジェクトへF6A型エンジンの供給を決めていたスズキは、提携関係を通じてライバルの全貌——前例のないミッドシップレイアウトとガルウイングドアの採用——を察知する。これを受け、スズキ側は自らの強みとして「多段可変式ルーフ」という新たな武器を研ぎ澄ませていくこととなった。

スズキ カプチーノに搭載されたエンジン(初期・後期)

カプチーノのパワーユニットには、アルトワークスで熟成された直列3気筒DOHCインタークーラーターボを採用。軽自主規制の上限である64psを過不足なく叩き出す。また、初期型と後期型では搭載されるエンジンが異なっているのも特徴の1つだ。

カプチーノのエンジンルーム。

【初期型:F6A型エンジン】

1990年の軽規格改定に伴い、ストローク伸長によって660cc化を果たした鋳鉄ブロックユニット。空冷インタークーラーターボを組み込み、力強いトルクフルな走りを実現した。

カプチーノ初期モデルに搭載された、F6A型エンジン。

【後期型:K6A型エンジン】

オールアルミ化により大幅な軽量化を達成した後期型ユニット。可変バルブタイミング機構(VVT)の採用やチェーン駆動化により、レスポンスと静粛性、環境性能を高次元で両立させた。

後期モデルに搭載された、K6A型エンジン。

時代の波乱と規制を乗り越え、意地を見せた本格FRスポーツ

1989年の東京モーターショーで「AZ-1」と「P-89」が揃って初公開され、市場の期待は最高潮に達した。しかし、この裏で動いていたのがホンダである。両社の動きを察知したホンダはトゥデイのメカニズムを応用して開発を急ピッチで進め、1991年5月、他社に先駆けてビートの市販化を果たした。

一方、当初は技術研究車両に過ぎなかった「P-89」だが、スズキの鈴木修社長(当時)がテレビ番組内で突如「市販化」を明言したことで、急遽市販化へのプロジェクトが動き出す。しかし、前例のない本格構造ゆえに認可手続きは難航。最終的には先行発売されたビートの存在を交渉のカードとして提示し、運輸省の認可を取り付けたという逸話が残る。

前例のないモデルだったため、運輸省の認可手続きは難航した。

幾多の紆余曲折を経て発売されたカプチーノは市場に大きな衝撃を与え、他2社とともに軽スーパースポーツという新ジャンルを確立したかに見えた。しかし、直後に訪れたバブル崩壊という冷酷な現実が、この贅沢なカテゴリーを直撃する。

需要の冷え込みから各車が1代限りで消滅を余儀なくされる中、カプチーノだけはスズキの軽自動車メーカーとしての意地と情熱により、7年間という最も長いモデルライフを全うした。総生産台数2万683台。バブルの徒花として終わることなく、独自のメカニズムで今なお語り継がれるその高い完成度は、国産スポーツカー史における輝かしい一頁である。

足を前方へ深く投げ出すフォーミュラカー感覚のドライビングポジション。オーソドックスなレイアウトながら、各部の質感向上によって上質なスポーツフィールを演出している。

耐水性に優れる合成皮革を採用したバケットタイプシート。万が一の降雨時にも配慮された機能性と、身体をしっかりとホールドする高い包まれ感を兼ね備える。

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。